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風はなく雲はひとつも流れていないのに、涼しいなと感じたのは、水の流れる音を聞いたからかも
しれなかった。さらさらと流れる桂川の音は、観光客の賑わいやクルマの音にかき消されて、聞こ
えるか聞こえないかわからないままたぶん耳に届いた。オレはおそらく、涼しさの原因が桂川の音
だと気付かずに、ホテル嵐山の前に立った。
白い壁の敷居の中央から両脇より迫りくる嵯峨な竹林を仰ぎ一段二段と階段を降りた。歓迎の
黒い看板には白い筆文字で、「自転車板オフin京都様」。「スス板」の文字は消えていた。
スモークガラスの向こうのロビーの中はほの暗い照明が心細く灯っていたが、不安を振り払って
扉を開けた。フロントへつき進もうとしたところで、声がした。「お?」
がまかつの声。とっさに思った。声のする左の方へ向いた。がまかつ。笑っているのか怒っている
のか、無表情な能面のような顔の中の鋭い目が放つ強い視線を捉えた。がまかつらはロビーの奥
まったところにある茶屋をモチーフにしたようなスペースに陣取っていた。がまかつの表情が、
どんな気持ちを表現しているのか判断がつかず、笑顔になるかクールさを繕うか決めあぐねたまま、
不思議そうに呆けた表情になってしまったオレはなんとなく左手を挙げた。
がまかつの周囲には4、5人の男女が座っていて、知った顔も認識したが、オレの挙げた左手に
応えてくれたのは、がまかつだけだった。
オレはそのままフロントへ行き駐車場の場所を聞いた。話を聞きながら、一瞬捉えた知った顔の
解析も同時に行っていた。確か「茶飲んでる」と「萎え」。浜松でも一緒だった。背中に視線を感じな
がらフロントの話を聞いた。京言葉が耳に新しい。後ろでは、あれだれ?中村だよ。そんな会話が
繰り広げられているのかもしれなかった。
話を切り上げ外へ出るときに、がまかつたちへ向かってオレは口の動きだけで、「クルマ」といい外
を指差した。クルマを移動させる用事があることで、あわただしさを強調したが、ロビーの奥に陣取
ったおそらくこのオフの参加者は、なおも不信そうに無表情でちらっとオレを見ただけだった。
不安が募った。早くこの場から立ち去りたくなった。


こんにちは。うす。はじめまして。どうも。どうよ。誰。
初対面の場合、最初の挨拶を終えた後にどんな会話をすればいいのかわからない。
知った仲なら、いや昨日さ、とか、さっきさ、これこれこうゆうことがあってさ、などとすぐにたわい
のない話を始められもするが、初対面の場合そうはいかなくて、例えばこれから話そうとしてる
内容が、相手にふさわしいものなのかどうかまず考えてしまう。それよりもまず、その初対面の
相手が、オレと話したがってるのかどうかから気にする。面と向かって直截的に、話したくない
とはいわれないだろうが、例えば目の動きや、返答の強弱によって、話したくない気持ちは微妙
に伝わる。オレも、あ、この人はあまりオレと話すのが楽しそうじゃないな、ということに気付くと、
じゃあもう話さなくていいな、と急にやる気を失ってしまう。そして少し落ち込む。決して落ち込み
たくはないから、アタマの中でまず話題の正当性について考え、シミュレーションしてから、視線
や状況や緊張の度合いを加味したのちにやっと、言葉を口に出してみる。初対面の人と話す場
合には、膨大なエネルギーを必要とする。それが、「人見知り」のメカニズムでもあると思う。
オレはよく人見知りをする。
「鍵をわたせば、ホテルの人が移動してくれるってよ。」とフランスに告げた。オレとコビックは、
クルマの中からこすりつけとPCBの荷物を取り出した。「くっさそうやな、あいつらのリュック」
フランスが言った。嗅いでみたところ、本当に臭かった。汗が固まって粉になったあの独特な
足の裏のような酸っぱい臭いが、リュックのあらゆる部分からした。重いこすりつけたちの荷物
を運びながらクルマからロビーへ戻り、がまかつらがいる一角へ、いよいよ向かった。


眠たそうな声で、おっす、とオレ。あれ、一人?とがまかつ。両肩に背負った二つのリュックを
降ろした。いや、フランスとコビック、といって後ろを指した。コビックは、少し離れたところに立っ
て、同じくリュックを降ろした。身軽になったコビックはそのまま、言葉もなくゲームセンターの
方へ向かっていってしまった。フランスは、フロントに鍵を預け、そのままなにか事務的な話でも
しているのか真剣そうだった。2人を確認したがまかつは、A4にプリントアウトされた参加者名簿
にしるしをつけながら、あと、7人か、といった。オレはそのまま、茶のんでると萎えを見た。
茶のんでるとは、浜松以来だった。彼のハンドルネームが、キャノンデールのもじりだと知った時、
そのセンスに感嘆した。太く黒いフレームのメガネをかけていて、その奥には整ったいい形の
ギラギラとした目がある。わざとなのかどうなのかはよくわからないが、そのメガネのせいで少し
弱々しい印象を受ける。細身のジャケツとスリムなパンツを黒でそろえて来た茶のんでるは、
人懐こそうな笑顔をうかべてくねくねと、「中村さん」と言った。オレは安心した。彼の隣に座った。
次に萎えを見た。萎えと目があった。萎えとは浜松で最初に会った後、葛西臨海公園で偶然
再会していた。フランスジャージを着て初めて走りに行った。2ちゃんの仲間も何人かいた。
葛西へ着いたとき、オレが着ていたフランスジャージを発見した男が近づいてきた。
「2ちゃんの人ですか?」その後からぞろぞろとスケートボードを持った男女が来て、その中に
萎えがいた。「中村さん?」といわれ、萎えに気付いたオレは再会を喜んで少し話し、別れた。
萎えにはジーンズとかサブリナパンツとかがよく似合うイメージがあったのだが、今日の萎えは
なんというかその、巻きスカートの類の服を着ていた。足元は、編み上げるタイプのウエスタン
ブーツだった。要するに、萎えの女のコ的なファッションをオレは、初めて見たのだった。しかし
口説いたら、不思議そうな顔をされたあかつきにひとつ、ぷっ、と笑われ蔑まれるような気がする。
そんな危機感を抱いたオレは、萎えと話すためにはもう少し、酒が必要かもしれない。
萎えの隣に、肩の細い、女が座っていた。初対面だったが、誰だかすぐにわかった。カラコだ。


オフに来るやつらとは、オレはほどんど、ネット上で話したことはない。茶のんでるや、萎えに
しても、がまかつにしてもそうだ。彼らがたとえば、じぇいきんぐスレで楽しそうにやってるのは
知っていて、オレもたまに、仲間に入りたいな、とかうらやましく思ったりするのだったが、こう、
ぽん、と面白いことを言って人の心をつかむような、そういう技術をオレは持っていない。オレ
はどちらかというと、ケンカ腰に話題を振って、攻撃されたら対処するといったような、よりスリ
リングな展開が好みだし、得意分野だ。それか、女と見るや否や口説くのと、あとは、誰にも
かまってもらえないときは、酒を飲みながら、独り善がりの長文を書く。だいたいこの3つの
パターンを、サイクリックかランダムに使っている。「きょうもあげるぎゃ?」というのは簡単だが、
それ以降の会話のストックがひとつもないからオレは、じぇいスレをただ、指をくわえて見てる
しかなかった。
カラコとは、ネット上で2度、絡んだことがあることを覚えている。1度目は、オレが荒川スレを
荒らし依頼したときで、じぇいきんぐにつられたような形でカラコはやってきて、二言三言話して
去ってしまった。実はこのカラコはもとより、じぇいきんぐも、オレは荒らしを依頼した経緯を全く
説明していなかったことから彼らは、何のために呼ばれたのかよく把握していなかった。
すぐに彼らは去っていった。
2度目はというと、こすりつけが珍しくオレを、ヤフーのカンファレンスというシステムに誘って
きた。多人数で行う、プライベートなチャットシステムだ。そのときにいたのが、カラコと、
うっとり汁。オレはカラコを女と知るや、グダグダに口説いた。酔いの勢いもあり、説教か口説き
かわからないようなトーンで、滅茶苦茶なチャットを繰り広げていたことを、翌朝起きてから
おぼろげに思い出した。
すなわちカラコには、オレは悪い印象しか残しておらず、案の定目の前のカラコは、不思議そう
な、むしろ警戒するような視線でオレを見ていて、オレは急に喉が、カラカラに乾いてしまった。


「写真よりめちゃくちゃメチャクチャ可愛いじゃん。」
こすりつけに誘われたカンファレンスのときに、カラコと写真を交換していた。上目遣いでメガネで
ショートカットのカラコの小さい写真が送られてきて、オレは条件反射的に、「めちゃくちゃ可愛い」
と褒め称えた。それに対して、オフで会うことが確定していたカラコは、今は最悪になってるから
あまり期待せんといて、というような意味の言葉で牽制した。
確かに写真とはイメージが違っていたが、最悪、と謙遜すべきような造りでは決してなく、むしろ
清廉なたたずまいであったが、オレを見る警戒した視線は厳しく固かったから、その固さを振りほ
どこうとオレは、酒も入っていないのに、口説きの口調でカラコに第一声を送った。
がまかつや茶のんでるは無言かあるいは事務的な会話を始めたし、萎えはというと、ぷ、と音が
聞こえてきそうな顔をしてオレを無視してよそを向いた。
「あらあらそんなことないですよそんなことないです」とつぶやくようにいったのはカラコだった。
黒いジーンズの膝にあてた手を、身体と一緒に揺すりながら、オレから視線を外し、呟くようにして
そういったのだった。若干の沈黙が漂った。すなわちオレは宙に浮いた。


うっとり汁は、黄色いTシャツを着ていた。大杉蓮に似ていた。フランスがクルマの中で、うっとり
汁のエピソードを話していたことを思い出した。
「あいつな、自宅のパソコンにカメラ付けとんねん、でな、「只今ライブカメラ中継中」って書き込み
しとんねん、普通クリックするやん、してみるやん?でな、クリックしたらな、ただのおっさんが
いんねん。なーんにも芸なしやで?ただのおっさんがな、フツウにパソコンうっとるだけやねん、
おっさんやで?そんであんな?うっとりな?家庭板荒らしとんねん、冷蔵庫にティムポって名前で、
荒らしとんねん、そんでな、叩かれてわしのとこに、泣きついてきよってん、しかもおっさんやで?」
コビックがゲームセンターから戻ってきた。「あれ?フランスは?」オレはコビックに向かって
フランスの行方を訊いた。コビックが逐一フランスの行く先を把握しているはずもなく、わからん、
さっきフロントにおったけどな、と返答してくれたが、オレも本当は、フランスの行く先を気にしてる
わけではなかった。
カラコに嫌われているかもしれなくて、受け入れられようとして失敗してしまい宙に浮いたオレの
所在を、確認したかっただけだ。
フランスを探すふりをして中座した。
戻ると、顔に汗を浮かべた知った顔がいた。まろ。


いつからか、スピードに興味を失ってしまった。オレが2ちゃんで知り合った仲間には競技
志向者が多く、最近はあまりなくなったが、オフで一緒に走るとよく引き離され、おいてい
かれる。もともとは、移動手段としての自転車に興味を持った。街を軽快に走れる自転車
をと考えたときに行き着いたのが、スポーツタイプの自転車だった。偶然レースに出る機会
があって、それから少し、速くなりたいと思った時期があった。だが毎日一定の時間を練習
に裂くわけにもいかず、競技志向者との差は歴然だった。スピードメーターも取り払った今、
当初の思惑通り、オレの自転車は移動手段としてのみ存在している。
競走に闘志を燃やし、スピードに狂喜し、勝負にこだわるのも、男のコの哲学だ。しかし日常
では、1人で走るケースが圧倒的に多く、自然と勝負から遠ざかる。クラクションを鳴らされた
クルマに追いついて怒鳴りたいとき、もっと速く走れたらいいなと思うぐらいだ。
たまに、何人かで、走りたくなることがある。別に競走したいわけではなく、レジャーとしての
サイクリングを楽しむためだ。例えば何人かで、スキー場や、キャンプ場へ行くのと同じよう
な感覚。そういったコンセプトのイベントをオレは、自転車板で呼びかけて、何度かやった。
「灼熱プロジェクト」という意味のわからない名前をつけた。今度は「落日プロジェクト」にした。
ありがたいことにいつも4人か、多いときは6人とか集まってくれるがその中に、いつもいるの
が、まろだった。
まろに関しても、他の連中と同様、ネット上ではほとんど話さない。しかし、何かイベントがあ
ると、一番一緒になるのがまろだった。自転車に対面するときのコンセプトが似ているから、
同じようなイベントを選んでしまうのかも知れない。まろのその柔和な顔をみるとオレはいつも
安心する。酒も旨い。


「おいっす~」
とぼけたような高い声でまろはオレに、「アレ?自転車持ってこなかったの?」といった。
まろは朝早いこだま号のグリーン車で輪行してきて、金閣寺やら二条城やら清水寺まで
行ったかどうかわからないが、観光地巡りをした後にこすりつけらと合流し、伝説の激坂を
登った。自転車で京都観光を堪能したことを、満足そうに語った。
オレも自転車を持ってくることを考えなかったわけではないが、輪行するスキルがまだない
ことと、時間的に余裕のないことを悲観したオレは、京都に自転車を持ってくることを諦めた。
どこへでも自転車を持っていけるフットワークのいいまろを、うらやましく思った。
まろと一緒に、京都の街を観光してきたのが、「きびのみたらしだんご」。岡山から来た土色
の顔をした彼は、難しそうな顔をして、黄色いTシャツを着ていた。背中のメッセンジャーバッグ
は赤と緑と黄色の極彩色に彩られていて、この色はカメルーンだったかジャマイカだったか
どっちだろうなと考えたが、思い出せなかった。みたらしだんごは、「おい、だんご」という愛称
で親しまれたが最後まで、難しそうな顔を振りほどくことはなかった。
やがて、「アイム関西」が話題に上った。オレは当初、その名前の音だけ聞いて「アイム関西」
という表記を連想したが本当は違っていたらしい。正しくは「愛夢関西」。オレは「アイム関西」
と表記すべきだと今でも思っている。この愛夢関西、自転車板では馴染みの薄い名前だが、
同じ2ちゃんねるの、「家庭板」では相当な有名人らしい。家庭板の住人でもあるカラコ繋がり
で、地元が京都に近いこともあり、参加することになったという。その愛夢関西は、女を口説き
まくっているにもかかわらず、風貌はというと、ファミコンのスーパーマリオに似ているという。
萎えやカラコや茶のんでるは、顔を見合わせながら想像を膨らませ、やがてその想像に耐え
切れず、吹き出したりしていた。
ふと、水色のタンクトップが現れた。厚い口ひげをたくわえていた。スーパーマリオに似ていた。
愛夢関西だった。


「じゃあそろそろ部屋入りましょうか」 がまかつが言った。
時間通りに来るべきメンツが全て出揃い、遅れてくる奴は遅れる旨の連絡があったからだった。
参加者全員の所在が確認され、ロビーで待機する必要がなくなり、茶のんでるがフロントから
鍵をまとめて受け取った中からランダムにひとつ、205というルームナンバーが刻印されたキー
を取った。コビックが所在なさそうにしていて、オレはなんとなくコビックと同じ部屋になるような
気がしてコビックに鍵を見せて、おう、とかなんとか言いながらアゴを浮かせて部屋の方向を
指した。コビックがオレの後に続きながら、なんや古臭い旅館やのう、などといいながら落ち着き
なく客室の扉の造りや廊下のカーペットの汚れ具合を気にしていた。この男、でかい図体の割に
意外と几帳面なところがある。
205号室は、廊下のつきあたりの部屋だった。コビックは面白くなさそうな口調で、「なんや、
一番端かい」とぼやいたが、息づかいは荒かった。オレは材質も立てつけも悪い扉の鍵穴に鍵を
ざくっと差し込んだが思いとどまり、鍵を回さずにドアノブを回した。扉が開いた。
すると後ろからコビックがオレを押しのけて、もどかしそうにでかいスニーカーを脱ぎ捨てながら
荷物を置き、そのでかい体格からは想像もつなかいような俊敏さで飛び跳ねながら、まっさきに
冷蔵庫へ向かった。そして冷蔵庫を開け、次に料金表を見てそして彼はオレにこういった。
「中村、ビール637円やて、高いのう」
確か大瓶が637ml。1ml/1円。旅館や行楽地では、おおむねそれぐらいが相場だ。
「良心的なほうだよ。」とオレがいうとコビックは安心したように、「中村、ヤるか?」といった。
少し遅れて、フランスもやってきた。テーブルの周りには座椅子が3つしかなかった。
フランス、コビック、オレの3人。胃が、ちくちくしてきた。もうこすりりつけが入る余地が無いこと
ぐらいしか、プラスな要因を見つけられなかった。まずは、ビールだ。アルコールで、アタマを
麻痺させよう。でかくて俊敏なコビックから注がれたビールを、目をつぶって一気に飲み干した。


宴会まで残り2時間以上あった。
コビックはネコ科の動物のように俊敏なフットワークで座椅子と冷蔵庫を往復し次々とビールを
開けていった。フランスはテーブルの中央に鎮座し主役級の存在感をアピールしていた。オレは
カメラを構えたりビールを注がれたり注いだりしていた。コビックが「中村、おまえも写れ」といって
オレのカメラを奪うとフランスが「おう、注げ」とコップを差し出した。オレがフランスの横へ行き
かしこまったようにビールを注ぐとフランスは横柄にふんぞり返り、オレのほうを見ずに含み笑い
の表情を作った。コビックがその瞬間をカメラに収めた。
フランスが「そろそろ行こうや、な?」といった。
観光とまでいかなくてもオレは、嵐山を散策したいと思っていた。目的の一つは土産物屋だった。
オレは、旅行するたび、何かつまらない、例えばキーホルダーとか置き物といったような土産を
自分用に一つと、それから仕事の仲間などのために買っていくという習慣を持っている。
浜松のときは「うなぎパイ」ストラップを買ったし、ハワイではABCストアの店名入りのキーホルダー
だったし、山形の蔵王温泉では「王将」タイプの耳掻きだった。それほど必要のないものだし、
どちらかといえば土産物としてもらうには、あまりありがたくない品物ばかりだ。それでもオレは、
よりくだらない商品をチョイスして買っていく。
旅行して何年か経ち、ふとそのくだらない土産を見たときに、なんとなく旅行した思い出がよみがえる。
よみがえるまでいかなくても、ああこれはどこそこの温泉で買ったっけなと、旅行した事を思い出す。
たとえばキーホルダーやストラップが欲しいわけではなく、旅行したことを思い出すインデックスが
欲しいのだと思う。それに観光地の土産物を観て回るのは、おもちゃ屋にいるようでなんだか楽しい。


他人への土産として買っていく場合、キーホルダーはインデックスとしての役割を果たさないから、
単に必要のないものとして、ありがたくないものとして、イメージが定着している。東京タワーの
温度計や、ハワイのロゴ入りTシャツなどがそうで、「じゃあ、ハワイTシャツ買ってくるよ、」と冗談を
いうと決まって、「うわ、いらねー」と返される。しかし昨今、そういった土産物を買ってくる人間は、
ほとんどいなくなったように思う。ペナントやのれんやマグカップを土産としていただいた記憶がない。
そこでオレは、逆に新鮮ともいえるべき衝撃を与え嘲笑を誘いう意味で、あえて他人が必要としない
土産物の代名詞的な商品を買って行く。相手の反応や、会話を楽しめるからだ。ちっぽけで安物だと
しても、形として残る物を贈ることで、オレ自信の存在感も植えつけられることも計算に入れている。
もらう側の反応もまちまちで、シャレのわかる奴は、大笑いしてくれることもあれば、「いやがらせか?
捨てられないしこんなの」と親切にジョークを解説してくれるやつもいる。一番困るのは、いぶかしげ
な顔をしながら中途半端に「あ、ありがとう」などと礼を言われることだ。オレのセンスが中学生並だと
思われたままなのは少し癪だが、弁明するのも億劫だし、そんな奴には2度と買わないだけだ。
オレは土産物へ行くことにこだわった。フランスが、「吉本の店あったんとちゃうかな」といった。
コビックがTシャツの上からコルセットをはめた。しかし誰も、Tシャツの中ではなく、上からはめている
ことの不自然さに気付かなかった。外へ行くことになった。ちょうど廊下には、萎えとカラコがいた。
誘った。女2人は、顔を見合わせて逡巡していた。まだ緊張感が解きほぐれていない様子だった。
強引に誘って決断を迫った。やがて、顔を見合わせていた2人は笑顔になり元気に「連れてって!」
といった。ホテルを出るとき、宴会だけ参加の愛夢関西がいた。スーパーマリオに似ていた。
嵐山へ繰り出した。日はかげり始め、川のせせらぐ音はボリュームを上げた。午後4時30分。


コビックを先頭にフランス、オレと続き、筋肉質なボディーにフィットした水色のタンクトップを着て
口ひげを生やしているアイム関西は、スーパーマリオに似ていた。その後に萎えとカラコが肩を
並べ寄り添うようにぽつんと少し遅れて歩いてくる。川を右手に臨み、橋のある十字路へ向かった。
コビックの歩くスピードは一定せず、走ったと思ったら急に立ち止まり振り向いて今度は逆方向へ
進み、覗き込むようなしぐさをした後にまた前を向いてゆっくりと歩きながら視点をさまよわせたり
していた。路肩には人力車と、それを漕ぐ派手に日焼けした若い人足が時間をもてあましていた。
橋のたもとへ着くと、こすりつけが現われた。戻ってきた。伝説の激坂を軽々と制覇した勇敢な
戦士たちが、戻ってきた。PCBが、スポークを折った。坂のその急すぎる勾配に耐え切れずPCB
はスポークを折りながらそれでもペダルを踏みつづけ頂点を目指しついに頂点へ到達した。しかし
傷を負った兵士に余力は残っておらず、遅れてくるとの連絡を残しただけで、音信は途絶えていた。
PCBはいなかった。こすりつけは橋のたもとで自転車に乗ったまま停まり、聞き取れないほどの
小さく低い声で、「PCB?おる。それよりもな、めっちゃ風呂入りたいねん」というような意味の会話
をコビックや萎えと交わしていた。PCBが現われた。現われたがPCBは我々に気付かず逆方向
へ走り過ぎていってしまった。青とピンクのランプレジャージはPCB。黒地に黄色と赤のフランス
ジャージはこすりつけ。戦場から戻った兵士たちの戦闘服は、京都を歩く人々の注目を浴びた。
オレらは先へ進んだ。オレのリクエストにより、土産物屋へ立ち寄った。梅宮辰男と、松方弘樹の
店があった。オレはキーホルダーを選りすぐるべく、店の中へ入った。フランスとコビックは、缶
ビールを買って、開けて飲んでいた。


土産物屋の中に、萎えがいた。少し離れた位置にカラコもいて、ふたりはどちらかというと、
つまらなそうな顔をしていた。つまらないのは当然だろうとも思った。土産物の、軒先付近
にはありきたりな和菓子や洋菓子の折り詰めが積み重なっていて、奥の方にはそれこそ
ペナントやキーホルダーが並んでいて、若い女が見て楽しい店ではなかった。みんなが
行くから仕方なしについてきたという感情を押し殺して、さも興味ありそうに、ステキなキー
ホルダーを探してるような演技が、あたかも演技だとわかってしまうほどに退屈なオーラを、
彼女らは発していた。本当にそのようなオーラを発していたかどうかはわからないけれども、
彼女らの歩調や視線や表情を、オレの経験則によって主観的に分析した結果、退屈そうで
あるという結論をオレはイメージの中で勝ってに下した。
土産物屋に行きたがっていたのは実はオレだけであり、他に目的のないフランスやコビック
を巻き込んでマジョリティーを形成したが、彼らは外の駐車場でビールを飲みながらじゃれ
あい、萎えやカラコは、仕方なし、といった足取りで店の中を散策してみせるのが精一杯の
ようだった。すなわちオレは中に浮いた。
だからオレは、たまたま隣に来た萎えに、真剣な面持ちで聞いた。「どれがいいと思う?」
目の前のラックにぶら下がっているのはどれも同じような形をして金色に塗られた例えば
五重塔や金閣寺のミニチュアだったり、鉄に金閣寺の建物とその文字が浮き彫りになって
いるプレートだったり、新撰組だったり十手だったりした。
萎えは一瞬呼吸を止め、やっと「え?」といってオレを不安にさせた。そして次に「うーん、
どれかなー、ってゆうか、全部、イタいよねー」というような意味のことを言ってくれたから、
オレは安心することができた。


こういった安いキーホルダーなどを買うようなシチュエーションに遭遇した経験はは萎えに
はいままでなかったろうし、これからも、自分で買おうとは思わない限り無縁だろう。
どうでもいい安物を選ぶことの楽しみ、とかそういう感情を少しでも、解ってもらいたいと、
オレは思った。
萎えが、目の前のラックにぶら下がってる同じようなキーホルダーをひとつずつ手にとり、
そしてそのなかのひとつを指差して、「これいんじゃない?」といった。萎えは自分自身が
チョイスした金閣寺のキーホルダーを手のひらにのせ興味深く見つめていた。チェーン
のところを持ち上に掲げ、下を除いた萎えは不思議そうにまた金閣寺のミニチュアを手の
ひらに戻しそして裏側をオレにみせて、「ねえねえ、なんか入ってるよ?」といった。
金閣寺の裏側は空洞になっていて、その中に細かい小さい文字の紙片が何かを包むよう
な質感で入っていて、空洞に通ずる穴は、十字の溶接でふさがれていた。
「お守りかな?」 萎えは言った。
たぶん何かのお守りだろう。しかしオレはそんなことよりも、なんだか恋人同士のような
会話を萎えとしていることに気付き、この感じは、悪くないな、と思ったりしていた。


3種類のキーホルダーを買った。それから、京都トランプも買った。京都トランプは、表紙が
舞妓の後姿で、カード1枚1枚に、京都の名所の写真が描かれているものだった。これは
中学生でも買わないだろうから、おそらく外国人向けだ。外国人の友達が1人いるし、海外
へよく旅行へ行く友達も1人いるから、なんだかわからないけど2つ買うことにしよう。
それから、最近ちょっとムカつく友人には、嫌がらせのために十手を買っていってやろう。
オレが2,3千円クラスの安い買物を済ませて店の外へでると、フランスやコビックや
スーパーマリオがもてあまし気味になっていて、まもなく萎えやカラコも揃ったのだったが、
どこへ行く予定もないから一同、困惑の色を示していた。
京都が地元であるフランスは今回、客を受け入れる立場のホスト的役割を担っていたから
かどうかは知らないが、吉本の店があると聞き喜んだオレに依存して、「おまえ吉本の店
いきたかったんちゃうん?」といってきた。キーホルダーを買った店のおばちゃんに聞いた
ところ、「今はようみいひん」という答えが返ってきたからオレは諦めていたがフランスは
探そうといった。オレはもういいといった。それもフランスは探そうといった。フランスと
コビックとスーパーマリオが歩き出し、オレや萎えやカラコもあとに続いた。途中で煎餅屋
を見つけて、フランスが買って食った。ビールのつまみにええやろ、な?オレはなんだか、
「DAISUKI」を思い出した。交差点へ戻り、橋とは反対側の方へあるくとコンビニを見つけた
コビックが、帰りここで酒買わなあかん冷蔵庫のビールなくなるわい、といった。フランスは
わし氷結果汁しか飲まへんからな、といって鼻を鳴らして笑った。ふと、交番があった。
フランスはビールですでにテンションが高くなっていたのかどうかわからないが、吉本の店
にこだわっていた。



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